僕のための記録帳

はるなつあきふゆ

ラオス 逃避の動機

24歳の春、僕はラオスに逃げた。

仕事、会議、バンド練習、その他あらゆることを放り投げた。それらは僕にある程度の幸せや成長をもたらすはずだったろう、崩れ去る信頼もあるだろう、だが、ええいままよ、どうにでもなれ。

昨年の秋から、ひどく焦っていた。日本中をまわっていた僕は、自分の未来はもちろん、内面の問題に目を向けることを避けて刹那的生活を過ごしていたのだが、その延長線上には理想の自画像を描けないことに気が付いてしまった
。もちろんホントは、どう生きていたって好奇心のアンテナさえ立っていれば、なるようになる。だが、夢や目標に向かう人は、時には現状を(それがどんなに幸せなものでも)矯セイしなければならないのかもしれない。そして僕は、何をしていたって、コレジャナイと感じていた。どんな誘いにも乗るくせに、途中でやる気を失って、ホカニヤラネバナラヌコトガアルと。そして、ヤラネバナラヌコトを、ココロカラヤリタイコトを、とっくに分かっていたのに、日々のよしなしごとに全神経を注いでしまうから、微熱の日々が過ぎていった。要は「夢に対峙する覚悟/現状を変革する覚悟」がなかったのだ。

どうやら僕らは(とりわけ社会のレールをはずれた人は)存分に思考できる場所と時間が必要だ。自室でも、川辺でも、お気に入りのカフェでもいい。1週間に1時間で十分。あまり言葉にしないが、現代社会を自らの意思で生きる逞しい人は、必ずその環境を確保しているし、少なくとも僕はそんな姿を見てきた。存分に思考できる環境で、経験を咀嚼して、現在を観察して、未来を見据える。この営為が人に「覚悟」を授けるようだ。

僕は、労働と催事のために夢と生活を犠牲にしていた。言い換えれば、半歩先の僅かな快楽のために現在を犠牲にしていた(これは社会に魂を委ねた者が悉く経験するらしい)。だから、すばらしい経験をしたって、すばらしい出会いをしたって、頭ではそうわかっていても、心と身体が知らんぷり。いつも不誠実で無責任な言動をとり、半端な集中力で半端な結果を生み、ままならない日々を過ごし、自然な流れで自己嫌悪に陥る。もちろん、現状を段階的に改善する術などわからない。

そんな阿呆にとって、すべてを投げ出すという最終手段は、結局は唯一の選択肢であった。


だから僕はラオスに逃げた。
存分に思考できる場所と時間を求めて「ここじゃないどこか」=「ラオス」へ飛んだ。
誰もがこの奇行を、現状への敗北宣言だと受け止めた。
しかし、当事者はもっと前向きに、いや、半分ヤケクソに、
もちろんある種の躁状態だったろうが、明らかに今までとは異なる明るさを心に見つけていた。

なぜならこの逃避は、未来への宣戦布告なのだ。
離陸時、僕の頭はホラ貝の音が満たしていた。