僕のための記録帳

はるなつあきふゆ

ラオス 埃と誇②

ヴィエンチャンは、20年前のバンコクだった。

 

もちろん僕は、20年前のバンコクはおろか、20年前の東京すら知らない。だが、きっとこんな風だったろう。首都ヴィエンチャンは、人とバイクとトゥクトゥクで、尻込みするくらいごった返していた。1呼吸につき3クラクション。普段の声量では自分の言葉すら聞こえない。排気ガスと乾燥(3月は乾季真っ只中)。コンタクトは瞬きを待たずに瞳から落ちた。その亡骸を拾う間もなく詰め寄ってくるドライバー達。

ラオス 埃と誇①

京都に大好きな定食屋がある。外装も内装も昭和的な心地よいもので、ドアを開ければ女将さんがいつも笑顔で迎えてくれる。彼女が一人で切り盛りしているこのお店では、学生は500円で美味しいご飯をお腹いっぱい食べることができる。お財布が寂しい時は、事情を話せば快くご馳走してくれる(何度お世話になったことか)。こんな太っ腹な人に出会えた僕は運が良い。あ、女将さんはスリムです。

だが、この店を愛する理由はそれだけじゃない。店内奥の古い中型テレビが、問答無用に最高なのだ。なんとそのテレビには、彼女の録画した名作映画や秀逸な特番が、4TBの容量(502時間分らしい)を満たす程に詰まっている。その作品の量と質は、彼女の深い教養を雄弁に語っている。

僕はこのお店で『ひまわり』『地下鉄のザジ』『砂の器』などの名作を鑑賞してきた。美味しいご飯と女将さんとの感想会付きで。サブスクリプションで漫然と映画を観るくらいなら、このお店へ行くべきだろう。(法的なことは無論、最高なのはテレビじゃなくてHDだとかいう指摘もお控えください。)

旅好きな女将さんの口癖が「かっこつけんで、よう調べなさい」だ。彼女にとって、旅とは訪れた土地の自然・文化・歴史を感じること。そして、感じるために、僕らはなるべく知る必要があるという。だって、知識とは感性の向く先を決める舵だから。もちろん舵を扱うことに終始してはならないが、感性が四方八方に拡散しても仕方がない。

例えば素敵なお店や美味しい地酒は、現地でセンスのよさそうな人に尋ねればよい。だが、旅をもっと深く感じたいならば、事前に自然・文化・歴史を調べれば調べるほどよい。行き当たりばったりの旅が流行る時代だが、最近の僕は彼女の言葉に従っている。そして、地図やブログや紀行本に囲まれていると、妄想の中で一足先に現地入りを果たす自分に気づく。それって素敵で、お得なことだ。

 

というわけで、逃避を決めて、6日後の飛行機に乗ることになった僕は、ラオスの情報を集めた。村上春樹の紀行本「ラオスにいったい何があるというんですか」を読破して、「ラオスを知るための60章」を読み漁り、「地球の歩き方2022年版」を眺め、ネットの波に乗りまくった。このように全集中を注ぐ先がある間、僕はすこぶる元気だ。

調査によると、どうやらラオスは農業と宗教とメコン川でできている。
全人口の7割が農民で、7割が仏教徒で、ななんと斜めに流れる川(声に出してください)。近年観光地としての人気が上がっているけれど、他国の名所に比べたらずっと人が少ない。国民はのんびりしていて、仏教寺院はどれも個性的で、自然は豊かで、そして、ご飯が安くて美味しいらしい。おいおい、素晴らしいな。期待に胸を膨らませて、永住の未来すら描きつつ、僕はラオスに入国した。

 

ラオス 逃避の動機

24歳の春、僕はラオスに逃げた。

仕事、会議、バンド練習、その他あらゆることを放り投げた。それらは僕にある程度の幸せや成長をもたらすはずだったろう、崩れ去る信頼もあるだろう、だが、ええいままよ、どうにでもなれ。

昨年の秋から、ひどく焦っていた。日本中をまわっていた僕は、自分の未来はもちろん、内面の問題に目を向けることを避けて刹那的生活を過ごしていたのだが、その延長線上には理想の自画像を描けないことに気が付いてしまった
。もちろんホントは、どう生きていたって好奇心のアンテナさえ立っていれば、なるようになる。だが、夢や目標に向かう人は、時には現状を(それがどんなに幸せなものでも)矯セイしなければならないのかもしれない。そして僕は、何をしていたって、コレジャナイと感じていた。どんな誘いにも乗るくせに、途中でやる気を失って、ホカニヤラネバナラヌコトガアルと。そして、ヤラネバナラヌコトを、ココロカラヤリタイコトを、とっくに分かっていたのに、日々のよしなしごとに全神経を注いでしまうから、微熱の日々が過ぎていった。要は「夢に対峙する覚悟/現状を変革する覚悟」がなかったのだ。

どうやら僕らは(とりわけ社会のレールをはずれた人は)存分に思考できる場所と時間が必要だ。自室でも、川辺でも、お気に入りのカフェでもいい。1週間に1時間で十分。あまり言葉にしないが、現代社会を自らの意思で生きる逞しい人は、必ずその環境を確保しているし、少なくとも僕はそんな姿を見てきた。存分に思考できる環境で、経験を咀嚼して、現在を観察して、未来を見据える。この営為が人に「覚悟」を授けるようだ。

僕は、労働と催事のために夢と生活を犠牲にしていた。言い換えれば、半歩先の僅かな快楽のために現在を犠牲にしていた(これは社会に魂を委ねた者が悉く経験するらしい)。だから、すばらしい経験をしたって、すばらしい出会いをしたって、頭ではそうわかっていても、心と身体が知らんぷり。いつも不誠実で無責任な言動をとり、半端な集中力で半端な結果を生み、ままならない日々を過ごし、自然な流れで自己嫌悪に陥る。もちろん、現状を段階的に改善する術などわからない。

そんな阿呆にとって、すべてを投げ出すという最終手段は、結局は唯一の選択肢であった。


だから僕はラオスに逃げた。
存分に思考できる場所と時間を求めて「ここじゃないどこか」=「ラオス」へ飛んだ。
誰もがこの奇行を、現状への敗北宣言だと受け止めた。
しかし、当事者はもっと前向きに、いや、半分ヤケクソに、
もちろんある種の躁状態だったろうが、明らかに今までとは異なる明るさを心に見つけていた。

なぜならこの逃避は、未来への宣戦布告なのだ。
離陸時、僕の頭はホラ貝の音が満たしていた。